こんにちは。
彩人です。
「1973年のピンボールの詳しい解説・考察が知りたいな〜」
今日はこんな方向けに記事を書いています。
僕は年間読書量の1/3が村上春樹。
そんな僕が解説・考察しています。
よろしくお願いします。
・読書ブロガー
・日本大学文理学部卒業
・年間読書量の1/3が村上春樹
村上春樹「1973年のピンボール」の解説と考察!
1973年のピンボールの簡単な考察・概要とあらすじ
まず1973年のピンボールとは、こんな作品です(↓)
- 1980年6月刊行
- 第83回・芥川賞候補
- 表紙・挿絵:佐々木マキ
- 第2作目の「鼠」シリーズ
- 2015年まで海外刊行は行われてこなかった
またあらすじはこんな作品となっています(↓)
この小説はお互い700キロも離れていた街に住んでいた「僕」と「鼠」の物語。
僕は1972年に南平台にあるマンションを借りて翻訳事務所を開きます。繁盛していて女性従業員を雇うほど。
時系列が変わり1970年。僕と鼠がよく来ていた「ジェイズ・バー」。ここにはピンボール台がありました。ただ、やがてジェイズ・バーは閉店。僕は良く遊んでいたピンボール台を探し出そうとします。
一方、鼠はジェイに女の子との別れを話します。鼠はまだジェイズ・バーに入り浸っていましたが、その鼠にも変化・成長の時が。
以下、作品を詳しく考察しています。
1973年のピンボールの舞台は?〜設定の考察〜
まずこちらの小説の舞台は、1973年9月。
そして場所は…(↓)
「僕」:渋谷から南平台に向かう坂道のマンションと双子の暮らすアパート。
「鼠」:僕から700キロも離れた場所。
でした。
今から50年近く前が舞台となっていますよね。
そして「僕」と「鼠」の物語が交互に描かれます(↓)。
第二章(鼠):ジェイズバーに通う
第三章(僕):配電板を取り替える
第四章(鼠):鼠の街の描写
第五章(僕):女の子の引っ越し
こんな感じで25章まで描写。
なので「僕」と「鼠」のストーリーとなっています。
ちなみに村上春樹はこの「交互の時系列」を好みます。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「1Q84」などもこの構成でした。
1973年のピンボールのタイトルの意味〜タイトルの考察〜
しかし「ピンボールそのもの」がわからない…という人も多いのではないでしょうか?
ピンボールとは、上の写真のゲームのことです(↑)
基本的には一人で遊び、出るスコアを競うゲーム。
主人公は、こちらの機械で遊んでいました。
では1973年のピンボールのタイトルの意味は何でしょうか?
こちらは「一人遊び」と僕は解釈しました。
なぜなら序盤に、
これはピンボールについての小説である。
村上春樹「1973年のピンボール」P 28より引用
とあるからです。
1973年という年、一人遊びをしたという隠喩ではないでしょうか?
ちなみにタイトルは大江健三郎「万延元年のフットボール」のパロディだそう。
こちらは「村上RADIO」(2021年8月21日放送)で本人が語っています。
長年パロディ説が出ていましたが、ついに謎が明かされました。
1973年のピンボールの名言は?〜名言の考察〜
<名言①>
ピンボールの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。
もしあなたが自己表現やエゴの拡大や分析を目指せば、あなたは反則ランプによって容赦なき報復を受けるだろう。
良きゲームを祈る。
村上春樹「1973年のピンボール」P 29より引用
<名言②>
入口があって出口がある。大抵のものはそんな風にできている。郵便ポスト。電気掃除機。動物園。ソースさし。もちろん、そうでないものもある。例えば鼠取り。
村上春樹「1973年のピンボール」P 14より引用
<名言③>
いつかは失われるものにたいした意味はない。失われるべきものの栄光は真の栄光にはあらず、てね。
村上春樹「1973年のピンボール」P 140より引用
いかがでしたか?
会話文が少なかったので、意外と少ない印象でした。
1973年のピンボールはつまらない?
みなさんは「1973年のピンボール」どう読みましたか?
僕が先日検索をかけたら「つまらない」というワードが出てびっくりしました。
ただ、実は僕も「つまらない」と感じました笑
でも意外とそんな感想も多いんですよね(↓)
ピンボールっていうゲームを知らなくて、ちよっと世界に入りにくいね
読書メーターの感想より
また他にも…(↓)
ん?ピンボールを探す物語 ピンボールの意味って何?双子なんでいるの?なんで鼠は嫌気が刺して街を出ていくの?謎が多い物語だった。
読書メーターの感想より
会話文が少ないため、少し読みづらい印象。
そのため、よくわからないと感じる方も多いのかもしれません。
鼠の成長〜鼠の考察〜
「風の歌を聴け」から3年1ヶ月。
「1973年のピンボール」では鼠も成長しています。
「風の歌を聴けの鼠」はこんな感じでした(↓)
- 自分のために小説を書く
- 大学へは戻らず故郷で小説を書き続ける
- 「Merry Christmas & Happy Birthdayという綺麗ごとをいう
しかし「1973年のピンボール」ではラストでこう語っています(↓)
- 街を出て働く
- もう1本のビールを勧められても断る
- ジェイズバーには「もうこない」と明言
こんな感じで、鼠の自立が伺えました。
直子はピンボール台なのか?〜直子の考察〜
それと同時に「僕」も成長しました。
「ピンボール台」をいなくなった直子に見立てて会話をしたのです(↓)
やあ、と僕は言った。……いや、言わなかったのかもしれない。とにかく僕は彼女のフィールドのガラス板に手を載せた。(中略)彼女はやっと目覚めたように僕に微笑む。懐かしい微笑みだった。僕も微笑む。
村上春樹「1973年のピンボール」P 155より引用
そしてこんな風に結ばれています(↓)
会いに来てくれてありがとう、と彼女は言った。もう会えないかもしれないけど元気でね。
ありがとう、と僕は言う。さようなら。
僕はピンボールの列を抜けて階段を上がり、レバー・スイッチを切った。まるで空気が抜けるようにピンボールの電気が消え、完全な沈黙と眠りがあたりを被った。
村上春樹「1973年のピンボール」P 159より引用
こちらの描写から、彼女の思いは断ち切れたことが伺えます。
なぜなら、
- 電気が消える
- 沈黙と眠りが訪れる
- お礼を言っている
こんな描写があるからです。
- 鼠:街を出ていき、ジェイズバーと別れ
- 僕:彼女にお礼を言い、ピンボールの電気を切る
二人とも自分の課題に「一定の終止符を打った」と読めないでしょうか?
まとめ
いかがでしたか?
僕は鼠三部作「風の歌を聴け」も考察しています。
良かったらよろしくお願いします。
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ではまた。